マリリンモンローの名言/英語の言葉で私は母の病と向き合えた

今回、ご紹介する方は両親が立て続けに亡くなった時、マリリンモンローの名言に救われた方のストーリーです。
彼女は現在、語学教師を元気にされておりますが、両親が闘病中の頃は様々な苦労があった方です。
しかし、マリリンモンローの名言
【You never Know what life is like, until you have lived it,】
「あなたの人生がどんなだったかは生き終えるまで結局わからないわ」
この言葉を聞く事で「依存」から脱出された方です。どのように「依存」から抜け出し、両親の病と向き合ったか?ストーリーを見ていきましょう。
親の病気がキッカケで辛い状況に…
私は現在、語学教師をしている女性です。
幼い頃は特に何かに興味があった訳ではなかったのですが、親の希望で多くの習い事をしていました。
特に家庭環境も乱れた事もなかった環境でしたので、学業も問題なく私は階段を上るように私は大人になって行きました。
そんな私も結婚し、子供が出来た頃、私の両親に異変が現れました。
両親が立て続けに病気になり、後を追うように亡くなって行ったのです。
父が病気の時は看病をできたのですが、母が病気になった時は夫の事情で看病が出来ませんでした。
そして、これからが私の地獄の始まりです。私は最愛の母を失い、十分な看病が出来なかった事を心底悔みました。
そして、心が乱れていた私は夫にこんな振る舞いをするようになったのです。
「私が不幸なのは、こんなに悲しんでいるのは夫のせいだ!」
母の別れとはまったく関係のない夫に自分の人生を投げるようになっていたのです。もちろん、私は疲れ果てていました。
マリリン・モンローの名言が助けてくれた
疲れ果てていた私でしたが、偶然マリリンモンローの名言に出会いました。
【You never Know what life is like, until you have lived it,】
「あなたの人生がどんなだったかは生き終えるまで結局わからないわ」
私はこの名言を聞いた瞬間、母に執着しすぎて、自分の事もわが子の事も二の次になっていると思いました。
「私が大切にしなくてはいけないものは、母だけではないはずだ」っと。
「悲しんでいるばかりではいけない!母が逝った後も生きていく自分自身や子ども、家庭の事も同時に見つめなくてはいけない」
そして、「人生には失った分だけの幸せがあり、もっと言えばその幸せを感じられる」「私が幸せに気ずかなくても、失った事を乗り越えた強さは確実に私の中に残る。」このように思えるようになりました。
そんな風に考えられたとき、「失ってばかりの人生をやり過ごす」事に前向きになれました。達成感や充実感と言うものは、大きな仕事などをやり遂げた時ばかりではないのです。
「無くしてばかりの人生をやり過ごすうちに、なんて実のある人生なんだ」っと思えるようになる事が、
長い人生において本当の達成感ではないでしょうか。無くしてばかりの人生が、幸せだったと言える人間になる事も私は素敵に思えます。
今、あの辛い時を客観視すると、いつも地に足がついていない状態で何かに振り回されたていたなっと思います。
それは母や夫に執着していた受け身の私かもしれません。今は自分の人生を謳歌したいと思っています。
言いなりを辞める!
ここからは彼女がなぜ、名言で変化があったのか解析して行きます。
まず、1つ目に彼女とお母さんの関係性です。
彼女にもワークをして頂きましたが、母、夫に対しては非常に受け身だったのです。
彼女の語っていた文章にもこのように書かれています。「幼い頃は特に何かに興味があった訳ではなかったのですが、親の希望で多くの習い事をしていました。」
これが記していることは…親が示した命令、ルールは破ってはいけないという事です。
彼女も語っていますが、ご自身でも「母に執着していた」っと語るほどです。
また、彼女に話を聞いてみると夫にも執着していたと話して頂けました。「その当時、彼女の夫は外出する彼女をあまり良く見られなかった。」っとワークで語ってくれました。
お母さんに「来て!」っと言われても、夫が「行くな!」のような雰囲気を出していれば、自分のルールを持っていない彼女はどうして良いか分かりません。
彼女が置かれている状態を仕事で例えるならば…
同じくらいの権力がある上司二人に、まったく違う命令をされているようなモノです。
特に彼女のような外的基準(相手の判断で理解できる)、迎合型(相手にルールを委ねる人)は特になりやすいかもしれません。
そして、この状況から抜ける為には自分に責任を持ち、ルール、判断基準を私が決めると、宣言する事です。彼女も最後に宣言されていましたね。
最後に彼女は辛い時の状況をこのように語ってくれました。
「耐え忍ぶ力。幸も不幸も一生ではない」