大学を諦める私を”名言”が前を押してくれた

今回、ご紹介する女性は勉強が好きにも関わらず、進学を諦めた後、大きな病気になられた方です。
しかし、彼女は太宰治の名言「私達は生きてさえいればいいのよ」を聞き変化がありました。そして、彼女は大病を克服し、自分の力で夢だった大学に入学します。
名言を聞く事で一体、彼女に何が起きたのでしょうか?後ほど解説します。それでは彼女のストーリーを見て行きましょう。
はじめに
【あなたは存在しているだけで素晴らしい】
私は学生時代どうして自分だけがとつらく、光が見えないときがありました。しかし、ある名言に出会い様々な人に支えられて今日まで生きてくることができました。
【あなたは存在しているだけで素晴らしい】
自分にも、他人にもこう思えるようになった事は人生での大きな学びだと思います。周りの人達に感謝して幸せに日々を過ごしています。
勉強が大好きな子供だった私
私は大都会で育ちました。
毎日大きな車が道を行き交い、人に溢れた電車が行ったり来たりする。そんな騒々しい、ごちゃごちゃとした街です。そこの街の出身だと思えないほど私は周りと馴染めない子供だったようです。
母いわく、大きな音がなっただけでびっくりして泣き出したかと思えば急に思い立ったかのように手の届くところにあったコップを床などに叩きつけてかちゃかちゃとなる音に嬉しそうにしていたとか。
小学校のときは周りの話している内容が全くわからず、教室にもいることが辛く早退することが多かったです。しかし、勉強は大好きだったんです。
母と父、祖父と祖母が大切に育てたのでしょう。
「周りと違ってもいい。」
両親からはそのように言われて育ったので、特に私自身はなんとも思いませんでしたが、周りから見たらかなり変わった子供だったでしょう。
小学校3年のときの担当教師から「みんなと同じことができないならあなたがここにいる意味がない」と、5年生になるまで毎日言われました。
担当教師からしたら扱いにくい、嫌な子供だったのでしょうね。当時の私はそれを真面目に受け取り、「ああ、私ってなにか頑張らないといちゃいけないんだ」と思うようになりました。
今思えば、この頃から少しずつ性格が歪んでしまったのかもしれません。
貧乏で進学できない事を知る
私が自分の問題に向き合うこととなったのは大学進学を考えるようになった高校3年生の頃でした。有名大学の推薦を取れるという話が持ち上がっていたのです。
私は本当は大学に行きたいと思っていました。好きな勉強を続けられると思ったからです。
しかし恥ずかしながら私の実家は貧乏で、私を大学進学させるためのお金はないと両親に告げられました。
「申し訳ない」と頭を下げられたのをみて、私は「いいの、行きたくなかったし」と言うしかありませんでした。
そんな事をさせてしまって申し訳ないという気持ちが先にたち、嘘をつきました。私は夜もよく眠れなくなっていきました。
勉強は続けられないけど何かしなくては、頑張らなくてはと焦っていたのです。そして、また事件が起こります。私は体を壊しました。入院が必要でした。とにかく絶対安静になりました。
入院中はもう精神的にも限界だったのだと思います。ふらふらと屋上まで行って下を見てみたりしていたのです。
太宰治の名言が私を救ってくれた
そんなとき入院中に読もうと思っていた本の中に、太宰治の「ヴィヨンの妻」という短編がありました。
繊細で臆病な詩人の妻の話です。借金、飲んだくれ、浮気とやりたい放題しますが結局は妻のもとに帰ってきて謝罪をするのです。その時の妻の一言が…
「私達は生きてさえいればいいのよ」
その一言が心に刺さりました。私は生きてさえいればいいのかとハっとしたのです。病院のベッドで泣きました。
何かに許された気がしたのです。私はいるだけでいいのだと認めてもらえたと思えたのです。
大学に行くため貯金する
それからは退院し、自分で働いてお金をためて大学に通うことが出来ました。そして就職もして、社会人となったことで一つ確信したのです。
自分も、そして他人も生きているだけで素晴らしいのだ。人生とはそういう価値あるものなのだと。
この先進国日本では自殺率がどうしても高いままです。しかも若い世代の自殺は死亡率第1位のまま数年が経過しています。
私はそんなふうにすぐに人生を終わらせてほしくない。私みたいにほんの少しの事で人生が変わる事だってあるのだから。
【あなたは存在しているだけで素晴らしい】のです。この考えを皆さんで共有できればと思います。
許しと選択肢が彼女を変えた
ここからは彼女の背景で何があったのか私の見解で解説します。
1つ目に彼女に大きな影響を与えたのが許しです。彼女の話では「頑張らないと私には価値がない」っと思われていたそうです。
しかし、名言を聞く事で自分や他人を許せるようになったと言います。以前の彼女なりのルールの正義が名言を聞く事で許せるようになったのです。
2つ目に選択肢が彼女に芽生えたという事です。彼女はこんな事もいっていました。
「名言を聞くまで、どうして私が。やりたかった事が出来ない」っと思われていたそうです。まるで誰かに支配されているような、自分には選択肢がなかったような状態だったそうです。
以前の彼女は恐らくかなり強いプロセス型(手順が無いと行動できないパターン)です。そして、両親に相当受け身だったのでしょう。彼女はこうも言ってました。
「名言を聞いてから、色々あってこその人生。色々な人がいて、いいんだっと思ったんです。」
これは、オプション型(自由や選択肢を作る事が得意とするパターン)に程度はありますが移行している証拠の言葉です。
価値基準も評価→自由に移行しています。何かに支配されていた自分から選択肢を作る自分へ変わっています。
最後に彼女はこんな事を語ってくれました。
「人生は自分の思うように行かない事もありますが、それも含めて素晴らしい事なんです。」